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夢とか現実とか…もろもろのブログ。 音楽と史跡巡りを中心に。
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    【小田原小旅行:3】石垣山一夜城~夢の跡~

    お久しぶりです。
    前回の記事から間が空いてしまいました!続きの記事を。

    小田原城へいった翌日には、石垣山一夜城へ行きました。
    秀吉が小田原攻めの際に一夜で建てた、という逸話のある陣城です。

    実際には一夜ではなく、70日程度の日数がかかっていたといいます。
    城が完成後周囲の木々を伐採したため、小田原城からは一夜にして城が建ったように見えた、と。
    それが石垣山一夜城の伝承ですね。

    築城中の城に伊達政宗が訪問し、城の白壁が紙であることを見ぬいて、
    秀吉たちを唸らせたという逸話も残っているとかいないとか。

    そんな石垣山一夜城。
    山登り開始です。

     

    散策ルートは一応、道が舗装されております。
    それでも山には違いないので、ある程度の体力は必要。

    散策ルートを進むとまず最初に見えてくるのは、二の丸跡。

    【二の丸跡(馬屋曲輪)】

     

    本丸と並んで最も広い曲輪。
    今は広場になっていて、犬や親子連れが遊んでいました。
    かつては馬屋が置かれ馬洗い場もあったとか。



    二の丸跡の片隅にはひっそりと櫓台跡が。
    山の上、さらにそこに建てられた櫓からの眺めは、どんな有様だったのでしょうか…。

    【井戸曲輪跡】

     

    井戸曲輪へ向かうには、下へ下へとひたすら山道を道を下ります。
    山の斜面が総石垣…おそろしい技術力、労力です。
    臨時に建てらてた陣城だというのに。
    豊臣秀吉の権力の表れをこんなところで垣間見れます。

     

    下った先にあるのは通称『淀殿の化粧井戸』
    秀吉の側室、淀殿がこの井戸で身支度を整えたという伝承が残っています。
    井戸まで下りて、四方を取り囲む石垣を見上げると、壮観の一言。
    大自然と人の技術力が一望できます。

    【本丸跡(本城曲輪)】


    本丸へ上る道は、崩れた石垣がごろごろしております。
    普通の石のように無造作に道端に転がっていますが、これすべてが歴史的遺産なんですよね。

     

    本丸跡は人が少なく閑散とした雰囲気。
    あたり一面に花が咲き乱れ…厳かな雰囲気です。
    隅の方に祠があったのですが、写真撮るのが憚られましたので画像は無しです。
    静かです、かつては人で溢れていたであろう本丸跡。

    【本丸展望台】

     
    展望台の傍らに、石垣山の石碑。
    史跡には必ずある石碑、この城の石碑は本丸跡にありました。

     
    本丸展望台からは、小田原城と市内、相模湾をも見渡せます。
    敵軍、友軍の様子が一望できます。秀吉がこの山に陣を張った理由がこれですね。

    デジカメで最大限拡大して撮ったのが、右側の写真です。
    小田原城が見えます。(中央よりやや左より、下方)
    小田原城が見えるということは、小田原城からも石垣山城が見えるわけで、
    一夜にして姿を表した城に、小田原勢は戦意を削がれ…。

    【天守台跡】


    本丸跡の脇に奥へ奥へと進む道があって、ガイドさんは案内してくれなかったのですが
    後々辿ってみたら、その先には天守台跡がありました。
    小高い山のようになっています。

    山の頂上の本丸、それよりも更に高い位置にある天守台。
    一体どんな天守閣が建っていたのでしょうか。
    石垣山城は建物については記録が少なく、わからないことが多いそうです。

    【南曲輪】

     

    南曲輪は石碑が立つのみの広場です。
    人は、私と同行の友人以外いませんでした。

    右側の写真は南曲輪の石垣です。
    隅の部分がきちんと残っていました。
    400年前に詰まれた石垣が綺麗に残っているってすごいですよね。
    崩れた石垣が多い中で、よく残っていたものです。

    【西曲輪】

     

    西曲輪も石碑が立つのみ、こちらは南曲輪よりも広く、日当たりも良かったです。
    山里的な娯楽施設を伴った曲輪だったのでは、という見解もあるそうです。ほうほう。

    さて、西曲輪は本城曲輪の下に位置しておりますので、
    西曲輪からは本城曲輪の石垣が見えるわけです。

    西曲輪の奥へ奥へと進み、本城曲輪の石垣をぐるっと巡ってみました。
    友人はベンチで休憩中、ここから先はひとり、誰もいない。

    【本城曲輪の石垣をめぐる】

     

    石垣の大半は崩れています。木々が鬱蒼としていて、薄暗い…。
    先へ先へと進みましたが、さすがにここはちょっと恐かったです。

    誰もいない、物音もしない、進んだら引き返せなくなるような妙な感覚。
    本城曲輪は一番大きな曲輪な訳ですし、石垣をめぐるとなると、なかなかの距離です。



    来た道を振り返ってみました。石垣と木しかありません。
    道の途中に、自然に生えたのとは一線を画す木が…。



    周囲の木とはまず色も種類も違う。
    地面には小さな石でぐるっと囲ったような跡があり…
    もしかして城の一角に人工的に植えられたものでしょうか…?
    陣城とはいえ、庭園的なものも備えていたのでしょうか…。

      

    石垣たちは一見するとただの岩。
    なのですが、よく見ると明らかに人の手が加えられているのがわかります。

    一番左の写真、手前側の石は平らに削られています。
    中央の写真は、大きい石垣と石垣の間をうめるように、小さな石が組まれています。
    一番右の写真も、四角く削られた石が組み上げられている様子がわかると思います。

    石垣山一夜城は、他の城のように天守や門などの建物こそ残っていませんが、
    山全体が一つの遺跡なんだな、と。そう感じました。

    山道にごろごろしている岩も、よく見ると削られていたりして崩れた石垣の一部なんですよね。
    なので建物こそありませんが、一見の価値あり、の城跡です。

    最後に一枚。
    石垣山一夜城で撮ったお気に入りの写真です。



    本丸へと続く道。
    かつては栄華を誇っていたであろう軌跡。

    『夏草や 兵どもが 夢の跡』

    芭蕉の有名な句が頭をよぎりました。
    ごろごろと無造作に転がる石垣の成れの果て。
    人の営みも自然の力の前には適わないようです。

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    音楽と歴史が好きな未熟者。VOCALOIDを使用して作詞作曲したり、耳コピしたり。史跡を巡ったり。
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