6月22日、忍城訪問の記事です。
皆様に
忍城の魅力が伝わるといいな、との思いから少し説明込みの記事になります。
文章多くて、読みにくかったらごめんなさい(・ω・`)
忍城と聞いてぱっと、どんなお城か思い浮かぶ人は…少ないかもしれません。
私も
小説・映画『のぼうの城』を見るまでは、そんな感じでした。
『のぼうの城』の舞台になったこのお城、一体どんなお城でしょうか?
既知の方はこの辺り、読み飛ばしてくださいね。
天下統一を目前にした豊臣秀吉は、秀吉に従順の意を示さない、北条氏の討伐へと赴きます。
北条氏は小田原城を中心に、周囲をぐるりと支城が守りを固める、関東の一大勢力です。
忍城はこの北条勢の支城のひとつ。現在の埼玉県行田市にあります。
現在の忍城はこんな感じでございます。
橋…門…櫓…(*´∀`*)ハァハァ…
豊臣秀吉から忍城攻めを任されたのが、石田三成でございます。
大谷吉継、長束正家らと共に忍城の攻略へ向かいます。
豊臣勢2万に対し、忍城勢は500。
城主の成田氏長は小田原城に籠城中…不在。
圧倒的に不利ですね…忍城勢。
ところがどっこい…!
『坂東武者』という言葉がありまして、当時の関東の武者は勇猛で知られておりました。
この忍城もそんな坂東武者たちの集まり…そう簡単には攻略出来ません。
石田軍の行軍を阻むように、忍城の各門には家老率いる武者、武装した農民たちが詰めております。
(忍城の武者たちについては、次の記事にて詳しく説明いたします)
そこで有名な
『石田三成による忍城の水攻め』が敢行されます。
水攻めは三成の策とも、秀吉の指示とも言われております。
水攻めにより本丸以外はすべて水没。策は成功したかのように思えました。
ところがどっこい…!(2回目)
雨期の長雨により堤の一部が決壊、水攻めは破れ、逆に石田軍側に被害が出てしまいます。
天の味方も得て、この忍城、圧倒的不利にも関わらず、落城せずに持ちこたえておりました。
水攻めにも屈しないこの城は、
「忍の浮城」と称されて恐れられたとか…。
ところがどっこい…!(3回目)
この城の前に、
本拠地である小田原城が降伏・開城してしまいます。
(ちなみにこの小田原城攻略の為に秀吉が築いた陣城が石垣山の一夜城。GWに訪問した城です)
小田原城が降伏した際、北条勢力の中で最後まで落城・開城せずに持ちこたえていたのは、
この忍城ただ一つでした。
落ちない!というご利益に預かった、受験の落ちないお守りというものが、
忍城近くの
髙源寺に置いてありました。
(髙源寺については後々の記事で触れます)
忍城の概要についてはこんな感じです。
『のぼう城』はそんな忍城の攻防戦を描いたものです。
小説、映画ともに面白かったです。興味を持たれた方はぜひ。
【現在の忍城址】
散歩するのに気持ち良い感じに整備されております。
日差しの強い日に行ったのですが、吹き抜ける風が心地よかったです。
風が語りかけます…
櫓に使用されていた石垣の一部が置かれています。
移築された武家屋敷の門の一部も。
壁に空いてる丸やら四角やらの穴は鉄砲狭間ですね。
城内から城外にいる敵勢を鉄砲で狙うための物。
櫓も別角度からもう1枚、ぱしゃり。
忍城の説明については、こんな感じで終了です。
次回は忍城の守りに付いていた武将たちについての記事になります。
この武将たちは現在に甦っております…おもてなし武将隊として!!
弐へ続く!