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夢とか現実とか…もろもろのブログ。 音楽と史跡巡りを中心に。
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    京都旅行その4 その他諸々

    京都旅行の記録。
    興味ない方は…(ry)

     


    池田屋跡地

    池田屋の跡地は、碑が残るのみで、今は…居酒屋です。
    パチンコ店よりは良いけど…月日の流れは残酷なものです。
    は●の舞です。提供までついてます。
    何の感慨も湧きませんでした…ごめんなさい…orz

    ikedaya.JPGikedaya2.JPG










     


    三条大橋

    池田屋よりも、むしろこっち。
    斬首となった局長近藤勇の首がさらされた、三条河原付近です。
    夜にいったので、河原の様子はうまく写真に取れませんでしたが…。
    あああ、もう感情を言葉に出来ない…。

    また、三条大橋の池田屋方面から向かって2つ目の柱(?)には、
    池田屋騒動の際に隊士によって付けられたとされる、刀傷が残っています。

    sanjyou.JPGsanjyou2.JPG










    有名では無いのでしょうか…
    自分達意外、誰も、何も、してませんでした…普通に橋を渡っていくだけで。
    写真を撮って、傷に触れてみたりしていたのですが、
    通りすがりの方々に、非常に不思議な目で見られました…違うよ、変な子じゃないんだよ?

    刀傷は深くて、どれほどの力で斬り込んだものなのだろうか、と考えてしまいました。

    『池田屋騒動の時についた、とされてるけど、一体どんな状態で付いたのだろうか?』
    と…近くの茶屋で、友人と談義してきました(笑)

    池田屋に斬り込んだ近藤隊には、そんな余裕なかったはず。
    とすれば、土方隊の誰かが付けた傷?
    でも、何で?
    もしかして、池田屋から逃げてきた長州勢と、この橋の辺りで斬り合いになったとか??
    等々・・・・・

    持つべきは歴史好きの友!


    御陵衛士屯所跡

    ここは、実は行く予定では無かったんです。
    というか、場所さえ把握していなくて。

    最終日、雨がしとしと降る中…
    清水寺からの帰りになんとなくで、『ねねの道』をふらふらとしていたら…
    『御陵衛士屯所跡』の石碑が…!

    偶然辿り着いた、屯所跡地の高台寺月真院。
    思わず運命的なものを感じました。

    geshiinn2.JPGgeshiinn.JPG










    御陵衛士の面々は、ここから『あの』油小路に向かったんですね…
    感慨深くてしばらくその場から動けずにいました。
    説明書きらしき立て札は、劣化が酷くて読むことが出来ませんでした。残念。
    でも辿りつけただけで、満足です。
     



    他にも、二条城、清水寺、伏見稲荷にいったのですが…
    有名所だからいいか、と思い記事は省略します。

    京都は学生時代、修学旅行で行ったきりだったので、
    今回の旅で自分達の好きなところを回れて、とても良かったです。
    楽しかったは楽しかったのですが、
    それ以上に色々と考えることが多く、勉強になった旅でした。

    歴史って、新撰組って、何だったんだろう…云々。
    自分の足りない頭で考えても、答えは出ませんが。
    とても興味深い旅でした。

    また行きたいな!ってことで旅の記録終了です。
    ここまで読んで下さった方は、ありがとうございますね(^^)
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    京都旅行その3 壬生寺、光縁寺


    京都旅行のお話です。
    興味ない方はs…(略)


    壬生寺

    局長の近藤勇の胸像や、芹沢鴨らを含む新撰組隊士の墓があるお寺。
    ということで、非常に興味を持っていたのですが…
    台無し感たっぷりでしたorz

    何かのイベントをやるらしく、境内にはトラックが乗り入れられ、
    パイプ椅子が立ち並び、本堂にも鉄パイプの足場とブルーシートが掛けられ…
    何の感慨も湧きませんでした。
    行った時期が悪かった模様。

    壬生塚の方は遺跡、という雰囲気で真摯に訪問させて頂きましたが…
    やはり、境内の台無し感が…
    沖田総司が境内で子供達と鬼ごっこをしていたという逸話が残っていますが、
    立ち並ぶはパイプ椅子のみ…(´・ω・`)

    mibu.JPG











    光縁寺

    新撰組隊士のお墓があります。
    新撰組副長、山南敬介のお墓もこちらです。
    光縁寺は、訪問させて頂けて、本当によかったです。
    ご住職からもお話を聞くことが出来て、とてもよかった。

    門は硬く閉ざされていて観光客はお断り、な雰囲気です。
    でも、静かにお墓参り出来ました。

    kouen.JPG








    光縁寺と新撰組の係わりについて、深い知識も無く訪問してしまったのですが、
    光縁寺の近くに新撰組の馬小屋があったこと、
    山南家と同じ家紋だったことから親交を持つようになったそうです。

    山南さんの口添えで、新撰組の隊士の弔いを行うようになったそうですが、
    3人目には、山南さん自身が埋葬されることになってしまいました。
    その説明書きを読んで、言葉が出なかったです。
    ご本人も、当時はそんなこと、思ってもみなかったことでしょう。

    このお寺には、『沖田家縁者の墓』もあります。
    沖田総司の内縁の妻の墓、という説や、
    同姓の、総司とはまったく別人の方の縁者のお墓、という説などなど。

    ですが、ご住職は、
    「沖田総司が喪主となって立てたお墓。たぶん埋葬されてるのは、明里さんなんじゃないか」
    と仰っておられました。
    さらりと言っておられましたが…
    その説を信じても良いでしょうか?というか、信じたいです。

    その後、改葬されることとなりましたが、
    油小路で亡くなった、伊藤甲子太郎、藤堂平助らの御陵衛士も、当時こちらのお寺で弔われたそうです。
    ここでもまた、貴重なお話を聞くことが出来ました。

    斬り殺された衛士の面々は、油小路から、そのままの状態で光縁寺に運び込まれたこと。
    そして、当時は時間がなく、墓石に名を刻むことが出来ずにそのまま弔ったそうです。
    時代が時代ですし、御陵衛士の面々は新撰組と袂を分った訳ですから、止む無し。
    と思いましたが、やはり心が痛みました。

    そんな気持ちを抱いての、お墓参り。
    写真なんて撮れるはずもありません。
    色々と思いを馳せながら、真摯にお墓参りさせて頂きました。

    その後、本堂に上がらせて頂き、
    山南さんのお葬式を光縁寺の本堂で執り行ったこと、
    葬式には幹部の面々も参列し、
    近藤さん、土方さん、沖田さんがこの辺りに座って…等のお話を伺いました。

    そして最後に、山南さんの位牌にお焼香させて頂きました。

    お墓参りのみならず、貴重なお話を聞かせて頂き、またお焼香までさせて頂いて、
    ありがとうございました、と自然と頭が下がりました。
    今回の京都旅行で一番印象に残ったと共に、一番行ってよかったと思いました。

    あと、新撰組についてもっと勉強しなおそうと思いました(笑)
     

    京都旅行その2 旧前川邸、八木邸

    引き続き、京都旅行の記事です。
    興味ない方はスルーで(笑)


    旧前川邸

    向かい側には、同じく新撰組の屯所となった八木邸があります。
    前川邸は非公開ですが、休日には入口付近のみ開放され、
    新撰組関連のお土産を売っていました。

    maekawa.JPG










    八木邸

    八木邸は公開されていて、新撰組や八木邸内部の説明を聞くことができました。
    芹沢鴨暗殺時の話や、躓いたとされる文机、刀傷の跡…などなど、
    ガイドのおじさんが色々話してくれました。

    歴史上の偉人が、かつて同じ空間にいたと思うと、
    また、実際にこの場所で暗殺が行われたのだと思うと、
    なんだか不思議な気持ちになりました。
    お話も聞けたし、内部も拝見出来たし、行ってよかったです。

    yagi.JPG








    この2ヶ所に加えて、新徳寺にも行った…(通った?)のですが、
    うまく写真が取れなかった…自分馬鹿。
    内部は非公開でした。

    京都旅行その1 西本願寺


    17日夜~20日にかけて、京都へ旅行に行って来ました!
    色々回ってきたのですが、今回の旅行では、新撰組ゆかりの地を巡ってきたので、
    その辺のことをブログに書きたいなと思います。

    興味ない方はスルーでお願いします(笑)

    記事は巡ってきた順です。
    新撰組の遍歴とは関係ありませんのであしからず。


    西本願寺

    新選組が一時期、屯所として借り受けていたお寺ですね。
    観光客は多かったですが、なんだか厳粛な雰囲気でした。
    本堂ではちょうどお勤めの最中だったらしく、お経と楽(?)を聞くことが出来ました。

    勉強不足で申し訳ないのですが…なんだか雅楽的な音楽でした。
    静かな本堂にお経を読む声と、楽の音が響き渡るのは…すごい、としかいえない空間でした。

    nishi_honganji.JPGnishi_honganji2.JPG








    西本願寺を屯所としていた頃はまだ…新撰組は…元気だったんだよなぁ…
    と思うと、切ない気持ちになりました。
    境内で稽古等を行っていたそうですし、あの木の元で休んでたりしたのかなぁ等と思いを馳せてきました。

    taikorou.JPG








    こちらの写真は、西本願寺の太鼓楼です。
    実際に新撰組が屯所として間借りしていたのは、太鼓楼と離れらしいのですが、
    現在では、新撰組ゆかりのものは、この太鼓楼しか残っていないようです。

    観光客の皆様は、御影堂、阿弥陀堂に集中していたので、
    ひっそりと佇む太鼓楼付近は、自分達意外に人がいませんでした。
    写真撮り放題。
    どんな気持ちでここに居たんだろうなぁ、と思いを馳せると…何ともいえない気持ちになりました。

    新撰組の生き残り、島田魁は函館戦争後、
    西本願寺太鼓楼の守衛に就いたそうです…
    かつて仲間と共に過ごした地で、彼は1人、どんな思いでいたのでしょうか…。


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    プロフィール
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    性別:
    非公開
    自己紹介:
    音楽と歴史が好きな未熟者。VOCALOIDを使用して作詞作曲したり、耳コピしたり。史跡を巡ったり。
    ピアプロ

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